話すことの精神的効果

こっちに来ると色んな人と色んな話しをする、ほんの五分十分位の立ち話でも印象に残るものは多い。知らない単語を相手が使ったときはその単語の音を覚えといて後で大体の綴りを予想しながら辞典で調べるのも楽しい。音で大体の綴りは分かるものだ。僕はこうやってイギリスで友人や知り合いと話して「物語」の起点になるものを集めるのが好きだ。金沢にいるとそんな素材も少なくどちらかというと煮詰まっていく感じだ。それと、ユーモアのセンスの有無も大きいかな、ユーモア大国の首都ロンドンとユーモアが枯渇している金沢、いや日本全体にユーモアが大きく不足しているのだ。だからかな、、僕はこっちでよく笑っている、自分でもよく笑ってるな、と思いながら笑っている。

「村社会はユーモアを奪う」、これが日本の現状だろう。日本のメディアはどちらかというと同調的笑いを強要してる感じで、ユーモアとは似ても似つかないもの。ユーモアとは反権力を志向するものだが、現代日本の笑いはもっと卑屈な匂いがするし、反権力を志向してるように見せかけて結局は「村」に媚びてるような、その程度の人が多い。有名になっていく物書きなど見ているとつくづくそう感じる。芸人のビートたけしなんかも如何にも「村」の匂いがして垢抜けなく下品な感じ、僕は大嫌い。お山の大将みたいな人ね、、。タモリさんは好きかな、僕小学校のとき通ってた小さな塾の先生の旦那がタモリの友達だった、らしい。日本って今でも不思議と村社会が好きなんですね、東京も基本「村」で出来ている印象。金沢なんか金沢市というより「金沢村」ですね。このほうが良くも悪くもしっくりくる。村には良い面も沢山ありますから(皮肉じゃなく本当にそう思います)。

では、see you soon.