金継ぎで直した大皿

KPMの大皿(直径35 cm)、19世紀後半、ドイツで仕入れたのですが僕の不注意で割ってしまいました。それで金沢で金継ぎに出した次第です、カッコ良くなって戻って来ましたが修理代も掛かりました、結構金を使ってますので仕方ないです。素晴らしいお皿なのでお金をかけてでも直したかったのです。

人生って短いな、と思うようになりました。六十過ぎてから実感しますね、何時死んでもおかしくない年齢になってきたということ。長生きしたいか、と言われると、やり残したことがあるから未だ死ねない、と思うし、単に「長生きしたい」とは余り思わない、物語を十分書くこと、アンティークの世界をもっと極めたい、その二点に関して未練があります。書くことに関してはまだまだ未熟ですからもっと簡潔に微妙な世界を書いてみたいですね、書くことは書くことでしか上手くはなりませんから。書いて何を表現したいのか、特に無いです、強いて言えば「ユーモア」ですね、「笑い」です、これは可笑しいとか面白いという意味ではないです。ミラン・クンデラが何か近いことを言ってたかもしれません(皆さんハルキじゃなくクンデラ読んで下さい!)

ユーモア。こんなにも現代人が忘れつつあるものは他に無いでしょう。日本の現代作家が詰まらないのはユーモアの欠如ですね、ユーモアというものを屹度知らないんですよ。