‘Essays’のカテゴリーを設けてはみたけれど。

ホームページに新しいカテゴリー、’Essays’ を設けてみました。過去に書いたつぶやき風の記事は今まで ’News’ に入れていたのですが、それもちょっと違うかなと思い、分けてみました、でも別に大したこと書いてる訳でもないから(エッセーと言うには)少し後ろめたい気持ちです。これから少しずつクオリティを上げていきます、それがいい。

僕自身詰まらない他人の文章読むのは耐えられないので人にそれを強いることのないようにしないといけません。自分は中学、高校時代全く本を読みませんでした、学校の国語の授業も大体寝てるかお喋り、英語も国語も赤点かそれに近い点数でしたし、今でも漢字がびっくりするくらい書けません。世間で名作と言われる小説も殆ど読まないうちに大人になりました。今でこそ本を良く読みますが、それは二十一歳から始まったことで、それまでは本とは無縁の生活でした。二十一歳のときに酷い恋愛がありまして、そのとき偶々手に取り読んだ本が瀬戸内晴美(寂聴)の恋愛に関するエッセーのような文庫本。読んだ内容に全く同意出来ず読了後その本の表紙に赤いマジックで大きなバツ印を付けた記憶があります。丁度その頃古本屋でバイトしていたことも手伝ってか、大学も一回目の除籍になり時間を持て余し、じわじわ本の世界にのめり込むようになったのです。子供の頃の家には文学書など全くなく、あるのは夫婦喧嘩のみ、一人っ子の自分にはどちらかというと暗い環境でした。父と喧嘩した後母がよく泣きながら掃除をしたりしていたので、二階で一人母が泣いてないか耳を澄ましてじっとしていました。そういうときは別の関係無い音が人の啜り泣く音に聞こえたりするものです。

僕がブローティガンの文学が大好きなのも自分の幼少時代と少しは関係あると思います。大学に行くようになり哲学や評論めいた本を持って帰省すると母が、この子は何を考えているんだろう、と思ったんでしょうね、僕の目を盗んで本を開いて見たりしていました。大学時代の英文学の基礎教養的な授業も恐ろしく下らなかった。あるときテストで、文学に関する幾つかの短文をそれが悲劇的であるか喜劇的であるか二択させるものがあり、僕は何度読んで考えてもそれらが悲劇的にも喜劇的にも思えてしまい選べなかった。教授がアホなんですけど、そのときはアホなのは自分なのかとも思った。

授業は殆ど出ずに、大学で従軍慰安婦のシンポジウムの司会をしたり、変な文化的集会の司会をしたりしていた。司会をさせると意外とバランス良くこなすので、そこにいる教授が、あいつ授業もサボってばかりでバカかと思ったら司会をちゃんとやるじゃないか、と驚かれたりしていた。かと思うと、文学に関する自分なりの疑問をぶつけるのに、歩いてる(英和辞典の編集もされていた)有名教授をいきなり捕まえて質問したりしていたが大抵は相手にされなかった、というか、ガッカリするくらいのオーソドックスな答えが返って来た。というわけで、僕は何時もメラメラと血走る目をぎらつかせ、授業も出ないのにキャンパスを彷徨いていた。