やる気の出ない日。

何となくやる気の出ない日、こんな日は無理しないこと。まだ先日の映画「福田村事件」の衝撃から抜け切れていない、それくらい大きな映画だった。もう一度観たいくらいだしDVDが発売されたら是非求めたいと思う。本当に考えさせられる映画だ。森達也監督は水道橋博士、町山智浩との対談(youtube)の中でこの映画のことを「エンタメ」だと言っているが、勿論この言葉には色んな含みがあるので、単にこれを観て楽しんで欲しい、という意味ではないだろう。それだけ「エンタメ」「楽しむ」という言葉の意味が深いということだ。普通ならこんな近代日本のタブーに正面から挑んだ真剣勝負の斬るか斬られるかの映画を監督自身が自分で「エンタメ」とは言わないと思う。でもそれがこの森達也という人の「奥深さ」なんだと思う。

僕は九州北部に育ったので在日問題や部落差別は割と身近にあった、特に在日問題では街の外れの線路沿いに木の柵で囲まれた小さな集落があり、入り口の上に大きなハングル文字で何かが書かれていてそこを出入りする部外者は郵便配達の人くらいで、僕らは何時も遠巻きにその異質の集落を恐る恐る眺めていたが、中学に上がる頃にはもうその集落は消えていたと思う。あの頃の九州の田舎で「朝鮮人」という言葉には独特の湿って重たい語感があった。

よく、差別をなくそう、と言う人がいるが、イギリスやアイルランド、沖縄で過ごした僕の実感は、差別は何時までもなくならないだろう、と思う。例えばイギリス社会の階級差別。陰険ですよ、、僕はある意味人種差別より陰険だと思う。人は自分を他の人より上とか下とか差を付けて分けるの好きなんです、皆んな同じ、は嫌なんですよ。人はそんなに賢くないですね残念ながら。別に差別を肯定してる訳じゃありませんし、僕もイギリスで何度も人種差別で嫌な思いはしています。人間のする差別ってとても根深いんですよ、政治的に作られた差別もありますし、人間の心の可成りの部分は偏見で出来てもいますから。僕がそれなりのイギリス英語のアクセントとイギリスっぽい振る舞い方を身に付けたのも人種差別から身を守るためでもあります。それなりのイギリス英語を喋れば嫌な思いをする確率は下がります。肌の色は変えられない。だから別の方法で自分を守るしかない。

僕は二十代を沖縄とアイルランドで過ごしたのでどうしても「差別」について考えるようになった。差別って、する側は案外鈍感というか無自覚なのでタチが悪い。日本人もイギリス人も自国が沖縄や韓国、アイルランドにしてきたことに対しては概して無知で無関心ですよね。日本人がアイヌ、沖縄、韓国にしてきたこと、そういうの知らないのは恥ずかしいですね。

また、、。