18世紀のロシアンイコン

18世紀のロシアンイコン(30,5 x 25,5 cm)、旧東ドイツで仕入れました。素晴らしいイコンです。全体の色のトーンも魅力的です。イギリスでこれくらい魅力のあるイコンは余り見かけません。矢張りたまにはイギリスだけでなく他の国に行ってみるべきですね。イギリスのアンティークを客観視するにはいい機会だと思います。

今日の写真はパナソニックの Lumix 、 LX100というカメラで撮りました。最近カメラのキタムラで中古で買いました。発売されてから十年くらい経つコンパクトデジカメですがファインダーもあり操作ボタンが昔のフィルムカメラのようで、それとセンサーサイズが4/3(フォーサーズ)とコンパクトデジカメにしては大きく、でも画素数は1200万画素と抑えめで、後は見た目がカッコいい。何時も旅行に行くときはソニーの RX100III を使っていたのですが、今でもこのカメラは人気があり値段も結構します、でも撮れる写真は何処かオモチャっぽい、と言うか深み奥行きに欠けるんです。ただボディも小さくファインダーもありマニュアル操作も出来るとなると10万円以下のカメラでは稀有な存在なのです。LX100はRX100(名前似てますね違うメーカーなのに)と比べて画素数は落ちますがそんなことに関係なく、こちらのほうがセンサーサイズが大きいことも関係してるのか、写真に奥行き広がりがあります。オモチャ感はないですね。スマホで何もかも出来てしまう世の中になりカメラとか時計とか本、車、色んな物のデザインが悪くなり、手にしたときのワクワク感がなくなって来てますね。だから、どうしても欲しい物が古い一昔前の物になってしまう。スマホの利便性、汎用性に色んな物が食われているのですが、その一方そのような状況に飽きて来ている嫌気がさしている人々も極一部出て来てる気がします。「アナログ懐古」又は「擬似アナログ」と言ってもいいでしょう、カメラでいうとフジフィルムが出してるチェキなんかそうじゃないでしょうか。レコードプレーヤーブーム、ラジカセの人気も。アナログへの憧れ。

まあ平たく言えば、「そんなに何でもかんでもスマホで出来んでいいわ!」という軽い反発の気持ち、勝手に色々せんといてこっちのことはこっちで決めるし、と検索エンジンに言いたい気分。人間の嗜好性までもが無自覚にスマホ化してしまっている社会。

これ以上そんなに便利にならなくてもいいと思うのですがね、敢えて不便を選ぶのも良いのではないかと。因みに僕の書いている物語には携帯電話は出て来ません、僕の世界観に携帯やスマホは合わないから。そう簡単に人と人が繋がれないほうが物語は書きやすいですし、そのほうが美しい。夜家に帰って来ると電話に留守電入っててそれを聞きながら、また掛け直したりしてた時代、そんなに前じゃないのに懐かしいです。

この二十年の間に失われたものを考えるだけでも本当に憂鬱です。ひねた言い方ですが、やりたいことやり尽くして九十年代でサッと亡くなられた人は幸せだったと思います。色んな嫌なもの見ずに済んだから。日本の保守系政治家見てても止まってますよね時間が、今の石川県知事も止まってます、リングに上がるのはお好きみたいですが。だからこの国は世界からどんどん取り残されていく、少子化対策してるらしいが、その前にこんなにも未来無い国に皆んな希望を失ってる訳で。インボイス制度も腹立たしいくらい時間の無駄、(アメリカから高い武器買うのに)税金欲しいのならもっとスマートに取って欲しい。それと今回のこの制度は完全弱いものイジメです。僕は特に支持政党はないですが次回の国政選挙は自民党以外に入れます。この制度は本当に愚策だと思います、一体誰が得するの、、ですか。国民はもっと怒るべきです。

映画「福田村事件」はそういった意味でもこの今の暗い日本社会にあっての一筋の光でした。こういう(日本社会の)タブー満載の映画に有名な俳優たちが出演を即答して映画が撮れる時代。素晴らしいと思います。このような映画が今現れたこと、ジャニーズ事務所の恥部が暴露されてること、村上春樹が前ほど読まれないこと、これら全てリンクしてるんです。火事の炎が対岸でチロチロしてるときは春樹読んでる自分もカッコ良かったけれど炎がもっと大きくなって自分に差し迫って来てる、詰まり「生きること」が今くらいリアルになると春樹が急に色褪せてくる、心に届かなくなる。僕は春樹とはある種のファッションだと思っている、文学の体をしたオシャレアイテム。

スマホ弊害の最大のものは、あれを常用してるとものを考えなくなること。怖いですねあの日々進化(?)する利便性は、それに利便性と言っても所詮得するのは極一部のITジャイアントだけで僕らは奴隷にも似た状態。スマホ化された脳が集団で暴走するとまた近い将来「福田村事件」のようなことが起きるかもしれません。

僕は「不作為の罪」という言葉をこの映画を観て時々思い出します。