イギリス仕入れの為11/21(火)~12/15(金)休みます。

11/21(火)〜12/15(金)の間仕入れの為休みます。例年より少し遅い渡英です。まあこういう大変な時代なので半分はイギリスの友人に会いに行く気持ちで行って来たいと思います。仕入れに行く為にイギリスに行く、と思うと何か気が重いんですよね。あっちこちで戦争、イギリス国内の経済状況、弱い円、今の日本の状況、など諸々考えてると仕入れに海外に行く気には余りなれない。それで考えを少し変え、そうだイギリスの友人に会いに行くと思えば良いんだ、と思ったんです。友人に会いながら仕入れる感じ。勿論イギリスのアンティークディーラーも色々と大変だと思います、お互いに、そっちの国はどうなんだ、いやもうこっちは大変でね、とか言いながら仕入れるしかない。でも矢張り、面白い物見たら血が騒ぐんですね、僕たち皆んなアンティーク中毒ですから。変な言い方ですが、「中毒性の共有」とでも言いましょうか、その辺りで共感が生まれるんですね。僕も割と長い間この仕事しているのでまぁ少々のことではへこたれませんが、気分のコントロールは難しい、無いやる気をどうやって出すのか。正直やる気が出ないときは出ませんね、待つしかない。

最近、物語をちょこちょこよく書いてます。一日に不規則に二、三度机に就き一時間から一時間半書く。余りその間を空けないようにする、するとその物語の世界にすっと戻れる。書いてないときも、現実と物語世界の間にいるような感覚が自身の身体に纏わり付いている。この感覚は自分の心にある種の充足感を与えてくれるんです。勿論ですが、日常のことに引き摺られた後には無理です、現実世界の塵が付いてますから書けません。単に脳が疲れてるとかじゃなく、矢張り「あちら側」に行くには俗世の汚れを付けたままでは無理なんです。僕は書いてることの内容は机を離れたら全く考えません、「あちら側」のことは「こちら側」からは考えないようにしている、自分にとって自分の机が書く「場」ですから、そこでしか考えない。これは理屈ではなく経験で覚えた自分のルールです。もっと言えば書いてるのは、自分が勿論メインですがそれに「誰か」の力を借りてるような感覚が少しある、だから「誰か」との協働なんですね。それはこの自分の机でしか出来ないこと。だから、エッセーを書くとか、このホームページの文章を書くのとは根本のところが違っている。この記事を書いてるのは100パーセント私ですが物語には誰かが知らず「入って」来る。不思議です。理屈では説明出来ない感覚ですね。