曾祖父の書画に思うこと

今回の九州帰省中に、叔母の実家から曾祖父(母方の祖母の父)が描いた軸が出て来たので、それを貰うことになっていました。曾祖父は明治一桁生まれくらいで九州の日田という街で旅館を営んでました。何時からかは知りませんが、南画を描いていたようで可なりの数の軸が残っていたそうで、勿論、南画家ですから基本それで生計は立てず趣味で描いてた訳です。この軸に、昭和四年と書かれてあるので恐らく彼(長島という苗字)は六十代、「行く末を海となるべき谷川ももとは木の葉の下くぐりつつ」と、大体ですが読めます。下の絵は中国の故事成語「韓信の股くぐり」に材を取ったものでしょう。この「行く末を・・」の歌ですがネットで調べると江戸時代後期の文筆家、伴蒿蹊(ばんこうけい)の文章が出典と出て来ます。ネットだから当てにはなりません、僕は伴蒿蹊が大好きですが、彼自身がこんな説教臭い歌を詠むとは到底思えません、恐らく彼の著書の中で引用されてるだけではないでしょうか。伴蒿蹊は三十六歳で隠居して本格的な文筆生活に入ったそうですが、曾祖父の描いた軸から僕の敬愛する文筆家、伴蒿蹊へと繋がり、僕も少ししたら働く(店を開ける)時間を減らし、もっと書く時間を増やそうと思い至ったのです。自分も曾祖父がこれを描いたときの歳と大体同じです、もっと本当にしたいことを深める時期なのだろうと思い始めています。矢張り人生は密度です。密度無い人生は虚しいです。

(長い間ぞんざいに扱われていたので表装が酷い状態です。打ち直さないといけません)