小さいカットグラスの水差し

小さいカットグラスの水差し(高さ 10,5 cm)、イギリス製で1810~20年の物。これくらい小さいこの時代のカットグラスの水差しは珍しいです。今この他に三つあります、仲のいいイギリスのディーラーが持っていたので四つ仕入れたのです。ガラスの生地質がとても良く綺麗です。

さっきのこと、夜中の一時半頃ゴミを捨てに家裏の大通りに出ると小さな駐車場の真ん中に紐のように痩せた小さな身体のお爺ちゃんがステテコ姿で蹲るようにしゃがんでいました。ちょっと声をかけようかなとも思いましたが、家の中が暑くて外で涼んでるだけかなとも思い、そのままにしておきました。まるで車の代わりのように夜中の駐車場に蹲っている白い人影は見た瞬間ちょっとギョッとしますけどね。困ってそうな人を見かけて声を掛けるかどうか迷った経験は誰にでもあると思います。僕がよくするのが、友人でもお客さんでも必要としてる人に役に立つ情報を教えること。スマホで何でも検索出来る時代ですが本当に有効で役に立つ情報は検索では余り得られないのが現実です。良い大工さんを探してる人がいて、検索で良い大工さんが探せるでしょうか、車の修理や車検をするのに検索しても運が悪ければ悪どい業者に行き着いてしまう可能性も充分あります。ネットの口コミも可成り主観的で偏っていますし、知らない奴ほどネットに色々と書きたがるものです。それにいい職人さんは既に充分忙しくネットで宣伝する暇や必要がない、という感じです。

本当の口コミ情報ほど今の世に貴重なものはないでしょう。自分が信頼してる人の情報は本当に大切。僕がよくやるのが知らない街を旅してて良いバーを探したいとき、知り合いでその土地に詳しい人に訊いて教えて貰います。バーを探すのに検索しても意味ないですね。人に訊くか、只管呑み屋街を歩いて勘で探すか、そのどちらかですね。こういう場合ネット検索には限界があります。持つべきものは情報通の友人ですね。自分の勘も重要です。

勘、という未だよく分からない分析不可能のある感覚、これは確かに存在してると思うんです。誰か初めての人に会うとき、仕事上の決断をするとき、何か高価な物を買うとき、人生上の大きな決断をするとき、この「勘」というやつが最後の決め手になることがあると思います。意識下と意識上の間(はざま)にちょっとだけ顔を覗かせている朧げな掴み難いもの、それも一瞬だけで消えていく。この勘を研ぎ澄ませておくには出来るだけスマホ弄りは少なくして置くのがいいかと思います。勘は基本 another world に属してるものですから、その辺のアンテナは張っておかないといけません。

暑い日々で死にそうですが頭の中は涼しくしておきたいですね。