5/10〜6/14の間イギリス仕入れで休みます。今回はドイツにも行く予定です。長い旅ですが最近は仕入れに時間が掛かるのです、特に皆さんに自信を持って勧められるような面白い物を仕入れるには時間と運が必要なのですね。面白い物を少なく仕入れる。これに何処まで徹することが出来るか、ですね。勿論イギリスの友人の協力も必要です、自分だけでは出来ることに限りがありますから。
先日用事があって名古屋に行きました。某料理屋で食事を頂き、其処の主人と彼の友人女性の三人で住宅街にあるバーに行きました。料理屋の主人O氏が是非僕を其処に連れて行きたいと言うことで、そのバーテンダーは生まれつき片腕の無い方で片方の手でシェーカーを振り全てをこなすとても素敵な方でした。カウンター向こうの目の前に微笑んで立っているとジャケットに隠れて彼が片腕であることは全く分かりません。その大きなハンディを全く感じさせない気負いの無さに僕は感心しました。世界を舞台に活躍する料理人O氏がわざわざ僕を連れて行き会わせてくれた訳で、確かにその自然体は大きく僕の心に残りました。O氏の無駄の無い包丁裁きで鴨料理を頂き、それを見て僕は「荘子」の内編に出てくる包丁裁きの話しを連想し、僕はその「荘子」の一編を最高の芸術論と思っているのだが、そのバーではバーテンダーを前にパイプを喫う技術の譬え話として中島敦の「名人」という短編の話しをしていました。僕は機嫌が良かったのか兎に角よく喋り、彼の鴨料理の作法、バーテンダーの気負い無い柔和さ、などに感心はしたものの未消化のまま「白鷺」に乗り翌朝帰路に着いた訳で、自分が体験したことをどう納めたらいいのか分からずに。夜バーの後でO氏と二人で、女性が飲んでいたカクテルの赤く柔らかく解け潰れた苺は片手でどうやってやるのだろうか、と素朴な疑問として話していた、夜中二時過ぎにお酒を呑みながら。
気負わない、飾らない、さり気ない。そんなことを感じた一日だった。不必要に飾りたて気負った人で溢れる今の世の中、疲れるし詰まらない。人は何故気負いがちになるのか、飾ろうとするのか。自然でいることの難しさ。
人生で大切なものは何なのか、その単純な疑問に答えられないままに人は唯老いていく。代わりに余計で無駄なことばかりに翻弄されて、、。
(写真は金沢の犀川の桜風景)
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