ボヘミアングラスのお皿

ボヘミアングラスのお皿(直径 約16センチ)、19世紀中頃。上から見ると赤色と金彩が重なり、その中にも二色のグラデーションに変化があり美しいです。派手な物ですが独特の魅力がありますね。ボヘミアンなのでガラスは厚手で重たいです。

三月後半くらいから世の中の人の動きが増えていて、フェルメールも二年前に移転以来ずっとコロナでヒマでしたがやっと遠方からのお客様が増えています。去年沢山仕入れたので店はアンティークで一杯。来月連休明けにはイギリスに仕入れに行くのでもう少し売って物を減らしたいところ。兎に角物を置く場所が無い。シルバー物や小物より場所を取るのはグラスと陶磁器。次仕入れに行ったらグラスと陶磁器の仕入れは少なくしようと思っていても向こうで珍しい物を見ればそんなことも忘れて買ってしまう。それでも、これからは魅力がそこそこ程度の物は仕入れを減らそうと思っている。「良い物だけを少なく」仕入れる。これがこれからの仕入れの方向かな。実際良い物は高くても売れるし、「まあまあの物」は安くても売れ残って溜まっていく。お客様も「良い物を少なく」買いたいのではないだろうか。

話しは全く変わるが後二ヶ月でフェルメールは開店二十五周年を迎え、二十六年目に入る。あっという間だったがそれなりに長い時間でもある。これからは今まで以上に嫌なことは出来るだけしないようにしてマイペースで店を続けていきたいと思う。無理をしない。これは何かを続けるうえで重要なことだと思う、無理をすれば何処かに負担が掛かり続けられなくなる。身の丈以上のことをするのも危険だ、背伸びして派手な生活をしたり、自分を偽るような暮らしも破滅の元になる。人は大きなお金を手にすると人格も変わる、金目当てに寄って来る悪い奴らもいる、ちょっと有名になるとちやほやされて勘違いする。忙しくて自分をゆっくり見詰める時間もなくなり、多忙に流されながら生きていくことになる。そんな人に会うと僕は直ぐ分かるし、幾ら有名でお金を持っていても今の自分の暮らしのほうがいいな、と思う。内面の豊かさを欠いた生活は幾ら富や名声があっても虚しいもの。お金はそれなりにあって回っていれば何とかなるし、僕には静かな暮らしほど豊かなものは無い。本、骨董、音楽、考える時間、書くこと、少しの友人、パイプを吸う。そんなものたちで生活が出来ていれば不満は無い。それと健康であること。重要だ。

十年前よりも今の自分には虚飾は少ない。自分を飾ろうとか、どうこうしようという気持ちは余り無い。自然体に近い。いいことだと思う。これからも今以上に要らないものは捨て去っていきたいと思う。