ロンドンのワインバー

去年の11月、週末の夜、イギリス人の友人と待ち合わせ、何処かで呑もうということになり、チャリングクロス駅の近くにある有名なワインバーに向かった。レスタースクエアから夜道を歩いて、ロンドンで最も古いと言われるそのバーに辿り着くと、入店待ちの行列が既に出来ていて仕方なく二人並んで待った。そのバーに初めて行ったのは三十数年前、僕はアイルランドに住んでいて、アイリッシュの彼女とロンドンに出て来て、彼女の友人にロンドンに住む詩人がいて、彼の案内でそこに行った。穴蔵のような地下のワイン貯蔵庫がバーになっていて、ロウソクの灯りだけの天井低く暗い空間で、紳士達に混じり個性的な面々が熱く議論を交わしている熱気が充満して、圧倒されたのを覚えている。僕の友人も何度か行っているらしく、そうだ、あの面白いバーに行こうじゃないか、となり、寒い中立って入店待ちの列が少しずつ短くなるのを待ちながら、僕らの前後にいる人達を僕らは会話の合間に何となく観察していたのだ。僕らが知るそのバーの客層は、知的で、左寄りの、ボヘミアン的な感じなのはずなのだが、今自分たちの前後にいる人達は、どう見ても普通の観光客で、知的でも左寄りでもボヘミアンでもなく、極めて俗っぽい印象なのだ。僕は友人のGに、何か以前と違ってない、客層が変だよ、前はこんなじゃなかったね、と言うと、彼も同じことを感じていたらしく、並ぶ価値無しと思った僕らは列を抜け、また元来たほうへと歩き出した、もしかすると、バーの所有者が変わったのかもね、と言いながら。もう僕たちが知る、あのバーでないことは中に入らずともハッキリしていた。

これもコロナ禍の影響だろうか、それとも単に有名になり過ぎて俗化したのか。それは分からないけど、ロンドンの歴史ある有名なバーが「消えて」しまったことだけは確実なことに思えた。そのバーのお手洗いに行くと必ずドアの外に物乞いの男がいて、彼に喜捨せずにはそこを通過するのが困難だったのを今も覚えている。店内には、ここにはスリがいるので要注意、と書かれ壁に貼られていた。ワインも料理も美味しく、猥雑でいて何処か品のある、暗い、自分の声が他人の声に掻き消されながら夢中で喋る、スリに合わないか後ろを気にしながら、そこにいることがちょっと興奮気味の、怪しい地下室のバーだった。

(写真はヨークの街)