小さな物二つ、天使の人形(高さ 4cm)、香水瓶(高さ 2,7cm)。天使はシルバー製、ロンドンで1902年に作られた物。天使が工具を手に鉄か何かを叩いています。香水瓶も恐らくイギリス製、19世紀後半の物、ガラスとシルバー製。ご婦人が恐らくシャトレーンに下げ持ち歩いた物。二つとも珍しいですね。こういうミニチュアは売れ易くはないけれど、矢張り仕入れて置かないといけないかな、という感じ。
みすず書房の「テクニウム」と言うテクノロジーについての本を読んでいます。「テクニウム」とはテクノロジー全体が一つの意志を備えたものをそう呼ぶらしいですが、どうも人間のテクノロジーの進行を止めるのは無理らしいですね、例えそれが人間に幸福をもたらさず、災禍をもたらすものであっても。僕たちに出来るのは精々生活の中にあるテクノロジーの取捨選択ぐらいらしいです。僕自身は、テレビ、電子レンジ、持たない。車はマニュアル、カーナビ無い、スマホ所有してるけど使うのはイギリスのみ、普段はガラケーみたいなロウジン用ケータイ。SNSは一切しない、メールのみ。音楽はレコードとCDで聴く、ブルートゥースって何、青い歯?、という感じ。音楽は耳栓やヘッドホンではなく身体で聴く派。クッキングはガスコンロ、ご飯も鍋で炊いている。家では蛍光灯はなく、灯りは全て暗い黄色。
以上が僕のテクノロジーの選択、まあテクノロジーをどちらかと言うと拒絶してるほう、かな。それでも可成り毒されていると思う。たまにケータイ家に置いたまま一人でミスドー行ったりもする。イイ気分、誰も僕を呼ぶこと出来ないから。カーナビは便利だけどあの画面が車の前面にあるのが美しくない、から嫌。それと、自分の行きたいように行きたいのにゴチャゴチャ煩い、し、アナタ時々変な道教えるでしょ、とも思う。ご飯は炊飯器の臭いが嫌いかな、ご飯冷めてもいいの、また鍋に水入れて温めるから。カーナビもスマホも使わないから遠くの初めての場所に行くときは、iPad mini でグーグルマップ検索してスクリーンショットを保存、オフラインのその画面を助手席に載せて運転。とても面倒くさい。時々車停めて画面と睨めっこ。テレビあるといいなぁ、と本気で思うときはワールドカップのときくらい、まあ別に要らない、映画はDVDプレーヤーで観る派。ただ、レンタルビデオ屋行ってもハリウッドだらけで何も借りずに帰って来たり。
テクノロジーの怖いところは人間の本質を変えてしまうところ。しかも僕たちはその変化に気付いていない。万年筆とノート、それに文庫本持って喫茶店行って下さい。たまにはテクノロジーから距離置きましょう。
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