美味しいケーキとシルバースプーン

何となく更新、写真は近くのケーキ屋、ピュイ・ダ・ムールのパッションフルーツのムースケーキ。今年食べたケーキで一番美味しかったです。ムースケーキをイギリスの二百年前のシルバースプーンで食べるときの舌触りの柔らかさ。百年前のシルバースプーンは同じ銀でも硬いんです。イギリスのシルバースプーンはヴィクトリア時代に入ると途端詰まらなくなります、ディテールに繊細さが消え、エッジの美しさが無くなる。19世紀に入ってから徐々に新興成金、新しいブルジョア層が出現する、彼らは自分達よりも上の階級の真似をしたがり、高級陶磁器や銀器を揃えたがる。マーケットの肥大に反比例して、銀器のクオリティは下がっていく、と言うか、分かり易い趣味に変化していく。ディテールの美しさではなく、ぱっと見た感じのデザイン、より装飾的になる、英語で言うと‘gaudy’ 、良く言っても’decorative’ 、派手になっていく。

恐らくシルバーの作り方も徐々に量産体制的なものに変化していったと思う。18世紀末の銀職人は次の世代の職人を遠目に見てきっと嘆いたことだと思う、あんなもんは職人じゃ無いと、、。その更に二百年後を生きている私達も、その「ぱっと見」た感じに大きく影響を受けているようです、インスタグラム、ですね。小さな画面を覗いて見た気分になる、いくら進化しても写真は矢張り写真ですしね、詰まらない物でも実際より良く撮れたりもします。物の量感、肌触り、オーラを撮るのは不可能ですし、デジタル写真って、つまりはデータですから。怖いのは、僕らの感覚がインスタグラムなどの影響を受け次第に皮相になり、その浅い処だけで物事(マーケット)が廻り完結している、という状況。グルメ、アート、アンティーク、kougei (工芸じゃなく)、ファッションなどが今大きくそちらのほうに流れていってるようです。高級グルメなんかも下手すると、味じゃなくて、もっと別の軽薄なものに左右されている。

僕たちはある意味、計算されコントロールされた「消費者」と言う名の消耗品でしかないのです。人間を大事にしない世界に今現在生きている訳ですね。