二日前に店の玄関に新しいショーケースとアンティークの照明を付けました。ライトもショーケースもとても渋いです。ショーケースの中に入ってるのは今回仕入れた物です、1800年頃の物が殆ど。矢張り古い照明の灯りは雰囲気があり、空間を変えてしまう力があります。そして今日は大雪。十二月にこんなに降るのは珍しいです、雪国って感じです。
この雪では暫く誰も来ませんね、片付けでもしながらのんびりコーヒーとパイプ、読書で過ごすしかないです。先日友人に、その人の叔父様が使っていた、という七十年代頃のルイ・ヴィトンのパイプを頂いたので、それをよく吸っています。僕が持っている唯一のヴィトンです。その叔父様は1910年代にアメリカで生まれ、帰国後一高、東大と進み、53年にカルフォルニア大学に国費で研究留学、その後日本で国の化学研究機関の所長をされていた人物で、一高時代は陸上部主将で(1930年代に)百メートルを11秒1で走り、容姿も頗るハンサムという、白洲次郎も霞むくらいの男。その洒落者が吸っていたパイプを私が受け継いで吸わせて頂いてるのですが、スミマセン、ワタシデ、ゴメンナサイ、という気持ちでそのヴィトンのパイプを咥えております。この時代のヴィトンは未だ遊び心があったんですね、これが結構良いパイプなんですよ。70年代に洒落たスーツ着てオースティンの車に乗り、ヴィトンのパイプ咥えてるなんて、そんな男性は当時中々いなかったでしょう。パイプを吸う技量も可成りのものだったようで、そのパイプ見ればそれは僕には一目瞭然で、化学者でもあった人物が、思索するときに吸ったであろうパイプを今自分が吸っていると思うと、不思議な縁を感じるのです。パイプはこのように人から人へと吸い継がれ生き続けていく。不思議な面白さある趣味です。
洒落者が、街を見渡しても殆どいないような今の世の中は詰まらないです。お金があってブランド物身に付け高級レストランに行くだけでは、それは野暮に見えてしまうこともあるでしょうし、洒落者とは、内面の問題ですから、外身飾るだけではそれには遠く及ばない訳で、そこが難しいところ。高級車乗ってイカしたスーツ着てもそれに見合った心が無かったら、滑稽なだけで洒落者には程遠く。
僕は思うに、本物の洒落者とは自分がそうであることを殆ど意識していない、最初は、洒落者から始まったのだがそこから限りなく離れていった人のこと、だと思うのですがね、、どうでしょう。
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