花柄刺繍のレース

花柄刺繍のレース(直径13〜15 cm)、1900〜20年頃、恐らくイギリス製、ベルギーなどの可能性もあり。可愛いレースです。実は当店にはアンティークレース沢山あるんです。店頭に並べてないので、ご興味おありの方は仰って頂ければお見せ出来ます。テーブルクロスや枕カバー、小物入れなど色々あります。

先日人生における優先順位(priority)の話しをしましたが、そのプライオリティーの中で「お金」をどの程度重要視するのか、それによってその人の人生観は大きく変わって来ると思います。お金は生きるのに重要だけど、お金よりも重要、大切だとその人が考えるものがどれだけあるのか。そんなことをしてまでお金は欲しくない、お金はある程度あればそれで充分だ、余りお金を持つと人間は駄目になる、人によって考えは様々でしょうが。一昔前に「清貧」なんて言葉も流行りました。僕もある程度お金は欲しいですが、でもそれによって俗っぽくなるくらいなら、お金が無くても非俗に憧れる生活を送るほうが良いですね。僕自身人生で最も蔑むのが「俗っぽい」人に成り下がること。お金持ちでも俗人は多い、寧ろ俗人でなければお金儲けは出来ません。今のイギリスの王様は大層お金儲けの才能が有られるようですが、彼は俗にどっぷりと浸ってますね、そんな顔をしている。あんな存在に落ちるくらいならウェールズかスコットランドの田舎小屋で地味に暮らして本でも読んでるほうが優雅というもの。僕は左翼ではないですが、貴族王族であることと、その人の内にある高貴さとは又別物だと思っています。宗教的観点から観ればそう言った貴賎の相違はものを考えていく起点ではあり得てもそれ以上の属性に起因する意味は実は無い。最も高貴なところと最も卑しいところが実は一番近い関係にある、というのも真理です。ヒエラルキーはピラミッド状でなくループ状になっている。

考える時間を日常生活の中にしっかりと持つこと、出来そうで意外と難しい、日常の雑事処理に追われ、止まって静かに考える時間を作るのも今の世ではある意味贅沢なこと。でも、仕事や家庭のことだけに追われただ歳をとり疲れ、落ち着かない生活は精神的に貧しいもの。閑雅な時を、とまではいかないにしても矢張り一人寛いで考える時間は欲しい。

現代生活の時間って、小刻み状ですね、色んな小さいことに対応しながら気が付けば一日の大半は終わっている。纏まった時間というものが無い。肉でいうとミンチ状の時間。何時も誰かが自分の中に介入して来る。中々一人にさせて貰えない。ドーンと肉の塊のような時間が持てない、何時も小刻み。

今、画家、高島野十郎の伝記「過激な隠遁」を読んでいます。また近いうちにそれについて書きたいと思います。