寺島蔵人邸企画展『浦上玉堂と寺島蔵人』

金沢市の寺島蔵人邸で企画展『浦上玉堂と寺島蔵人』(9/7〜11/28)が開かれています。寺島蔵人邸は当時の雰囲気を変わらず今に伝える数少ない武家屋敷です。写真にあるようにお庭も美しく、お茶室で金沢の時季折々の光を感じながらお抹茶を頂くことも出来ます(別料金)。とても品ある自然な佇まいの空間です。絵や書を能くした蔵人の元を玉堂は文化五年に訪れ暫し滞在しています。玉堂六十四歳、蔵人三十二歳。岡山藩の支藩で大目付まで昇進した玉堂は五十歳で脱藩し、息子二人を連れ全国を遊歴します。玉堂は当時は琴の名手として知られていました。皆さんも、蕪村、田能村竹田、池大雅の名前はご存知でしょう。僕は、玉堂の絵は蕪村、竹田(ちくでん)、大雅の誰よりも上だと確信しています。こんな画家は近世以降の日本にいません!孤絶の天才です。玉堂の絵は特に晩年の小さいものが素晴らしいです。今蔵人邸に展示されている「緑染林皐(かん)図」がそれに当たるでしょう。今日その絵を僕は観させて頂きました。歓喜、ですね。絵を観る、という極上の喜びをこの天才の絵はもたらしてくれるのです。こんな素晴らしい絵が世界にどれだけあるでしょうか、、。その後お茶室でお抹茶を頂く。差し込む光が何時も柔らかで落ち着く空間です。こんな贅沢があるでしょうか、玉堂を観てお茶室で寛ぐ。ヨハネス・フェルメールの絵と同じく玉堂の絵は別次元のものなのです。極僅かな天才のみが表現出来たニュアンスがそこにはあるのです。時代は百五十年程ずれますがこの二人の天才は何処か似ているのです。この次元に辿り着いた画家は世界にも殆どいません。五十を過ぎ脱藩してアウトサイダーとなり子を連れ琴を弾きながら遊行した天才画家。蔵人邸の寺島さんは「寺島蔵人は玉堂の生き様に関心を持たれていたのではないか」と仰ってました。脱藩者を自分の家に留め置くことも身分ある武士として危険なことだったでしょう。この二人がどんな会話をしたのかとても興味がありますし、蔵人は玉堂の天才を感じ取っていたのかもしれません。

皆さん是非、寺島蔵人邸に玉堂を観に行かれて下さい。素晴らしい時間を持つことが出来ます。極上の企画展です。