フランスの絵皿

フランス製の絵皿(直径 22,5cm)、時代は19世紀中頃、焼きの甘い、イギリスでよく言うCreamware ですね。仕入れも終わりに近付いた頃田舎で見付けました。高級品ではないけれど味のある皿ですね。色合いも日本人好みかと思います。

仕入れで面白いなと思うのは、大きなアンティーク・フェアーに行っても自分の好きな物が殆ど買えなかったりするかと思うと、とても小さなフェアーに行くと面白い物に意外と出逢えたり、すること。大きなフェアーでも本当に何も買えないこともあり、似たような詰まらない物を沢山見せられただ疲れてしまうことも偶にあります。フェアーの運営者が変わったりすると、フェアーが途端に詰まらなくなることもあります。自分があるフェアーに行ったら、その時初めて出店してもう次は出ない、という出店者がとても面白い物を持ってたりすることもあります。同じフェアーでも出てる人たちは割と流動的で変わり易かったりもします。僕がよく「運」も重要と言うのは、こんなときの偶然の出会いです。

コロナでフェアーに出るのを止めてネットだけで売買してる人も増えたみたいですが、一定の数対面で売ることが好きでフェアーに出続けてる人たちも未だ未だいます。ネットで売るのが面倒な人もいるでしょう。ネットで中国人に売りながらフェアーに出てる人もいます。色々ですね。

僕も対面販売が好きなので、ネット販売もしなければ、今は東京とかのアンティーク・フェアーにも出ません。ここで売るのが基本です。理由ですか。自分でもよく分かりませんが、面倒臭いんだと思います。インスタとかフェアー出店とかネットオークションとか。考えただけで疲れます。物は手に取って見ないと分からない、それはその通り、でも何か色々面倒なんです。ネットで人と交流したいとは思いませんし、東京に出店してオシャレな感じで売るのも柄じゃない、疲れます。お客さんが店に来てくれて、色々見せながら無駄話沢山して、一つ二つ買って貰って、お茶飲んで、また色々話しが飛んで、それでお客さんが「楽しかったです、、」って言って貰えるのが一番嬉しいですね。詰まり僕にとって物を売るのは色々ある中の一つ、ということかもしれません。売るだけ、というのは詰まんないでしょ、、。

物の売買(交換)には文化人類学的側面があることを昔読んだ山口昌男さんの「文化人類学への招待」(岩波新書)で知りました。南方熊楠の晩年の思想でも説明が出来るかもしれません。物が動くとき、動くものは、見えないけれどそれだけじゃ無いんですよ。買い物とは本来そんな深さを持ったものだと思います。物とお金の交換だけでは決して無い。