痛風患者の呟き

昨日今日と痛風を発症して休みました。すみません。食中毒になり、その後バランスを壊したんでしょうか、久し振りの痛風の痛みに苦しんでます。ベッドで横になり、本を三冊持ち込んで代わる代わるに読んでます。内一冊は『モダン・ジャズ鑑賞』(相倉久人 著、角川文庫)、この本は河出書房新社から出ている『セロニアス・モンク  モダンジャズの高僧』を買って読んでたら相倉久人さんの文章に出会い、その文章が素晴らしく、元々’81年に出された『モダン・ジャズ鑑賞』に書かれたものであることが分かり、取り寄せた次第。とても面白いのだが、それよりも文章そのものがしっかりと成立していること。何が書かれているか以前に文章の音の流れが読んでいてとても綺麗なのだ。上手い文章、と言うのともちょっと違うのだが、読んでいてスーッと無理なく頭に入って来る、それでいてちょっとした言葉や助詞の使用が軽く意表を突く新鮮さで、そして最後にその意味内容がとても良い。文章は、僕は思うのだが、先ずは矢張りその音だと思う。音の持つ美しさが先ずあって、そこに相応の意味内容がしっかり入っているのか。音と中身がしっかりと一つのものになっているか。音の美しさだけでは読み続けるのは辛いですから。でも、意外とこの二つが揃ってる文章って本当に少ないんです。稀だと言ってもいいくらいに。音の美しさ、と言いましたが、緩急のリズム、と言ってもいいかも知れない。それは書き手の「呼吸」みたいなもの。文章を読みながら僕たちはその書き手の「呼吸」をも感じている。「読む」行為って詰まるところはそんなものなのかなと最近思います。

音楽も文章も’80年代迄で良いものは出尽くした感があります。セロニアス・モンクとグレン・グールドが死んだのは確か同じ’82年だったと思います。一つの時代の終焉ですね。’98年に google が出来ます、そこから雪崩のように全てがネット、ウェブ至上の世界に傾いて行きます。もう一冊の本は『ネット階級社会  GAFAが牛耳る新世界のルール』(アンドリュー・キーン 著、早川文庫)。ここには今のウェブ世界の巨人たちが如何に僕たち99パーセントの人間を食い物にして狡猾に儲けているかが書かれています。インターネットの世界は初期のベースを創った人たちがお金に興味が無く、ある明るい未来の創出を目指していたのとは逆に、今の巨人達は支配欲とお金にしか興味が無いのです。インスタグラムの危うさについても詳しく書かれています。最後に、三冊目は『蜘蛛女のキス』(マヌエル・プイグ 著、集英社文庫)。映画が有名ですね、マヌエル・プイグ、って素敵な響きだと思いませんか。もうその音だけで、参りました、って感じです。

では、明日回復してたら店開けます。さようなら。

(写真は能登半島の皆月湾です)