古いウェッジウッドの皿

18世紀末か1800年頃のウェッジウッドの皿です(約 26 x 22 cm)。渋いでしょ、初期のウェッジウッドの磁器はシンプルで僕はとても好きです。品が良い。珍しい物です。写真では分かり難いかも知れませんが釉薬の色が少し青味を帯びています。

「山岡鉄舟先生正伝  俺の師匠」(ちくま学芸文庫)を九州に帰省した折に求め、一気に読みました。とても面白い。鉄舟が如何に傑物であったかがよく分かります。僕がここでぶつぶつ言うよりは、本屋に行かれて(amazon ではなく)、買い求め読まれて下さい。良い本です、読後自分の生き方についてちょっと止まって考えてしまう、そんな力のある本です。彼は教育者としてもとても優れていたことがこれを読むと良く分かります。清水の次郎長も鉄舟の弟子です。彼の恬淡とした生き方が読んでいてとても清々しいです。恐らく日本近代の最後の怪物でしょうね。こんな人は彼以降は居ないんじゃないでしょうか。南方熊楠と対比させて柳田國男を置くなら、山岡鉄舟と対比させて勝海舟を置くと鉄舟の凄さが良く見えます。柳田國男も勝海舟も所詮権力側の人間かな、と感じます。僕は歴史は疎いので下手なことは言えないのでまあ勘ですがね。熊楠よりも鉄舟は三十年くらい前に生まれてますが、この二人の怪人を比べると時代の違いを感じます。下手な例えですが、昭和生まれの人と令和生まれの人くらいの時代差を感じます。今の日本に痛切に要るのは「人」です。今のこの国には「人」が余りにも少な過ぎる。この国は人を育てても来なかったし人を大事にもして来なかった。金ばかりで人は二の次三の次。良い教育者も少ないでしょうね恐らく、教育者とは学校の先生のことではありません。あんな窮屈な所には本当の教育者は育ちません。人が育たない国には未来無いですよ。今この国でどれだけ多くの人が孤独に悩み苦しんでいるのか。精神科医もまともな方なら、患者に薬出す前にもっとその目の前にいる人をじっと良く見抜くべきなのに。眼力無いと駄目ですよ。皆んな表面だけを見てぶつぶつやっている。

この国には殆ど未来無いですが、まあ諦めては不味いので一縷の望みを繋いでいくことにしましょう。

今これ書きながらビリー・ホリデー聴いてます。良いですね。サラ・ヴォーンと比べると矢張りここも時代差を感じます。