グラスは持って触らないと分からない。

一見普通のイギリスのアンティークタンブラー(タテ 9,2 cm、ヨコ 8,2cm)、19世紀終わり頃の物、ぼくもこの形は何度か仕入れている。そう思い今回も仕入れて、手に持って触ってみた。触感と厚み、そして重さのバランスがとても良く、持ったときに少しハッとした。ただこれは持ってみないと分からない全体のバランスの良さ魅力である。質感も微妙に何時もと違う。これも実際に見ないと到底分からない。矢張り古い物は写真だけでは限界がある。

今朝、雪の中歩いて中村記念美術館に行って来た。企画展「<はだ>と<わざ>」を観に行った、美術工芸品の生地肌と技術に焦点を当てた中々通好みの渋い展示である。色々と名品が出ていたが、室町時代から昭和までの茶釜の素晴らしいのが約十点程並べられていて、少し離れたところから全体を眺めたときの風景が、良かったです凛としてて。その後、下の喫茶室でお抹茶を雪の庭園を眺めながら頂いたのですが、丁度お抹茶が出てくるときに携帯に電話が掛かり、女性の方に、すぐ戻ります、と告げてから用事を済ませ喫茶室の席に戻ると、いくら簡易式とは言え、その女性の方は出そうとされていたお抹茶をぼくが居ないので一旦下げて、恐らく点て直されたのじゃないでしょうか、ぼくが着席後また出されました。ぼくは、自分の軽率さを恥じ、後でお詫びを言いました。幾ら簡略化されたものとは言え、矢張り「一期一会」です。ぼくは反省しました。女性は温かいお抹茶を出すために嫌な顔一つせず新たに点ててくれたのです。それから携帯の電源を切り、粉雪が風に吹雪くのを眺めながらお抹茶を頂きました。去り際に女性に謝れたのがせめてもの救いでした。

最近何か反省することの多い日々です。今年は年末になってから考えさせられることの多いです。少しずつ自分の人生観、価値観が変わっているのを最近感じます。詰まり、大切なものは何か、ということです。忙しかったり、お金のことばかり考えていたり、人の顔色ばかり伺って暮らしていると、一番大切なものが全く見えなくなり、盲になる。

今日のお抹茶のことは本当に恥ずかしいことでした。先日の長野駅の立ち食い蕎麦屋のときと同じくらいハッとさせられました。大分自分は劣化してますね。