アイルランド、ダブリン1827年製のシルバーのティースプーン(長さ 13,4 cm)。イギリスのシルバースプーンが未だ繊細さを保っていたぎりぎりの時代ですね。1840年代になるとこの写真に見られるような線の美しさは消え、野暮ったいものに劣化していきます。
この間ある本を読んでいて発見したのはイギリスでは1830年頃までは阿片が合法で普通に薬局などで手に入り、しかもお酒などより安価だったので、賃金の安い職人などは疲れたときや痛み止めに阿片を常用していた、そうなのです。ぼくの店フェルメールの入って右側は主に18世紀から19世紀初頭の物を置くショーケース、左は19世紀半ば以降のショーケース。つまり、右側のショーケースにある物を作った職人たちは阿片を常用していた可能性がある。このスプーンを作った職人さんも阿片をやっていたかもしれないし、阿片中毒だったかもしれない。反対側のショーケースは阿片禁止後の時代、だから職人さんも阿片はやっていない。全く変な分類ですが、そういう気持ちで自分の店の右側と左側を眺め、こっちは阿片やってた、こっちは阿片やってない、と思うと何とも妙な気分。しかも阿片やってた時代のほうが遥かに作る物が良い、となると複雑ですね。19世紀初頭は今の僕たちにあるような倫理観は余りなかったでしょうし、別の点で彼らはもっと厳格な生活を送っていたはずです。
今の世の中で合法非合法と分けられていることも時代が変われば可なり違って来ますし、それは本当に一時的なものですよね、昔は日本でも仇討ちなんてものもありましたし、国や時代変われば善悪の基準は曖昧になって来ます。個人的な話しですが、母の交通事故の刑事裁判が先日終わり被告に判決が下されました。公判の時も被告は反省の色も余り見られず、ぼくの目の前で、事故直後にぼくと会ったときに、実際彼は喋ってないにも関わらず、息子さんにはこれこれしかじか申し謝りました、と嘘をつくし。ぼくは傍聴席から大声で騒いで裁判官に静止されましたけどね、ハイ。ぼくはその日被害者代理の証人で、証言のときに、簡単に言うと、嘘は申しません、ということを宣誓させられるんです。後から検事さんに教えて貰ったのですが、被告は裁判でどんな嘘をついてもいい、だから何でも言える。そういうことらしい。ぼくは自分の証言が終わって一度傍聴席に引っ込んだら、被告がぼくに関してどんな嘘をつこうがそれに対してぼくには反論の機会がない。
はい、とてもベンキョーになりました。理不尽ですね。ぼくが傍聴席から、ヒコク、ウソツイテルゾ、ヒコク、ウソツクナ、と騒いでたとき、被告が恨めしそうな赤い目でじっとぼくを見たその濡れた視線をぼくは忘れないですね。
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