小さな物など、、。

スコティッシュ・テリアのカフスボタン(1920〜40年)、19世紀中頃の銀版写真(高さ 9,3 cm)、小さな石の卵(長さ 3,9 cm)。全てイギリスの物。この写真の青年の表情が好きですね、ちょっと滑稽なくらいに気合いの入った表情で。赤い石の卵、気分の悪いときなどはヴィクトリア時代の人はこれを握った、と聞いてますが真偽のほどは分かりません。確かに掌で握ると気持ち良く感じますが。こんな小さいアンティークが僕は好きですね、僕の店には小さい物は沢山あります。物語を孕んだ小さな物。売れ難い物も多いですが、それは沢山集まると雰囲気を醸して、場の感じを変えて来ますね。単に高級品、高価な物だけでなく、こういった物語を感じさせる物に対する感度を失わないようにしたいと思います。

みなさんにもこんな経験があるかと思います、友人や知り合いにお節介で助言やアドバイスをしたら、それが自分が意図したのと違い、どうやら相手の中で捻れて違ったふうに受け取られて誤解が生じ、それから疎遠になってしまった。コロナが流行し出して一年余、僕もそんなことを日々経ながら暮らしています。

価値観や人生観が大きく隔たっていたり、信頼関係が築けていない場合にはちょっとした一言が致命傷になり相手との関係を悪くする。よくあることですが、何かを言う、という行為にリスクは付きものですから仕方はないですがね。それと今の若い人は他人にキツいことを言われたときの受容力に欠けますね。慣れていない。

今の権力の座に就く日本の政治家たちを見ていると、こんな程度の低い人間には、もし誰かが高邁な精神を持って彼らに接しても、その彼の高貴な精神は彼ら政治家のレベルにまで落とされたところで誤解釈されてしまうのかな。そんなことも想像します。彼らは精神というものを理解しようとしない。広く見渡す心なんか欠片もない。そんな人種だと思っています、僕は。多くの方がこの一年余の彼らの茶番に呆れていることと思います。僕も同感ですし怒りもあります。

多少人間関係が壊れても、言うべきことは言う。大事だと思います。

(会って言って下さい、メールやsnsで言うのは卑怯です)