教会の告知板

ちょっと変わった物(53 x 40,5 x 4,5 cm)、イギリスの教会で使われていた告知板。そんなに古い物ではないでしょう、1920〜40年頃でしょうか。ただ珍しい物ですね、こう言う類の物は余り出てこない。僕が何処で仕入れたかというと、ケンブリッジの近くに住むアンティーク・ディーラーの友人の家に仕入れで遊びに行ったとき、彼の家の二階にあったのです。二階のある部屋でこれを見つけて、閉じているときは何に使う物か分からず、これ何、と聞いてみると、教会の告知板だよ、となり、へぇ、、面白いね、ところで売り物なの、と訊くと、そうだよと言うので、重いのをロンドンまで持って帰って来た次第です。まあ、ノリで仕入れたような感じ。どうしても欲しかったかと言うとそこまでではない。それで日本に送るのに梱包するときになると、面倒くさくて、あぁ何で買っちゃったの、重いし大きいし、と後悔し始めるパターン。でも、また自分の店に着いたら着いたで、まあ悪くないけど、何処に置くの大きいしね、と思いながらいつの間にか裏に引っ込めていたりして何時までも売れないしお客さんの目にも触れない。そんなパターンですね。そうやってこの手の珍品はただでさえ売れ難いのに売れずに溜まっていくんです。

これにミサの時間とかオルガンコンサートなどのお知らせなどを貼ったのでしょうか。それとも牧師さんが個人的なスケジュール管理で使ったのか。ロマンがあるという程ではないけど想像が膨らみます。開閉できる、開けないと見えないというのがミソですね。

イギリス仕入れ、何時になったら行けるんですかね。時々本当に虚しいです。色んな問題を先送りして取るべき対策を取らずに誤魔化し続けながらこの悲惨な状況を招いた政府の無能さ不誠実さに対して非常に憤りを覚えます。あるものを直視せず無いように振る舞いながら人を犠牲にしていきその責任すらも問われない。福島の原発もそうですよね。今、片山夏子さん、東京新聞の記者さんですが、が書かれた「ふくしま原発作業員日誌」(朝日新聞出版)を読んでいます。事故後の原発の現場で身体を張って働かれる人達の理不尽さ過酷さが細かく書かれています。ここに書かれている人の中には、震災のときにテレビで原子炉建屋の水素爆発するのを見て、専門の技術者でもなく、原発で働いた経験もなかったのに、福島第一に行けば死ぬかもしれないと思いながらも「誰かが作業をやらなくてはいけない」と奮い立ち西日本から駆けつけた男性もいます。彼には子供もいます。凄いです。中々出来ることではないです。本当はもうあそこには戻りたくないと思いながらも会社から「人がいないんだ」と電話がかかってきて迷っているときに、自分の子供から、父ちゃんは僕たちのために働いてくれているんだね。父ちゃんやってこー、と言われて現場復帰を決意した人も出て来ます。先ほどの西日本から来て働いている男性が携帯を新しくするのにいわき市の携帯ショップに行き、申込書に住所を書くとそこの若い女性店員さんから、「遠くから来てくれているんですね。有り難うございます」、と言われて、その女性自身も双葉町の出身で避難生活をしている。そんな話しも出て来ます。会社の都合次第で簡単に切られたかと思うとまたいきなり呼び出される作業員の人々。

今回出した「そらあるき 臨時号」で画家の壺井明さんに福島の素晴らしい文章を書いて頂いたこともあり、それ以来何も知らなかった自分を恥じつつも出来るだけ震災について知るようにしています。とても良い文章を書いてくれた壺井さんには本当に感謝しています。未だの方は是非読まれて下さい。「そらあるき 臨時号」はウェブでも買えます。フェルメールでも売っています。

僕が生きている間にはこの国は良くならない変わらないだろう、という思いが昔から自分にはありますが、それでも、もっと若い人、女性、色んな意味でのマイノリティー、そんな人達が変化を起こせる国になって欲しいと切に思います。この国をこんな卑怯な権力者達に牛耳らせてはいけない。僕はもっと女性の時代が来るといいと思いますし、そんなときにさっと女性が活躍出来るように手を差し伸べられるのが本当の男だとも思います。所謂、悪習慣としての『男社会』はそろそろ終焉してもいいと思いますね。