「そらあるき special edition(臨時号)」が販売されてます。

去年にMotion Galleryのクラウドファンディングを使って製作した「そらあるき」のコロナ臨時号が販売されております。金沢では、うつのみや本店(東急スクエア地階)、うつのみや金沢駅店、金沢21世紀美術館ミュージアムショップ、オヨヨ書林せせらぎ通り店、オヨヨ書林新竪町店、石引パブリックなどで販売しています。新潟はBarBookBoxで売っています。勿論当店フェルメールでも売ってます。金沢の他のお店、東京の池袋ジュンク堂など、県外のお店は4月から販売していきます。遠方の方は「そらあるき」のホームページからでも買えますので。今日東急スクエアの「うつのみや」に行って雑誌コーナーで「文藝春秋」が平積みされていたので手に取り、芥川賞の文章をチラ読みして、あぁまた何時もの作文作家か(文章ではなく作文しか書けない作家という意味です)、と嘆息しながら本を閉じゆっくりと平積みの上に戻すと、なんとその直ぐ横に「そらあるき」が同じく平積みされていました。有り難い、と思うと同時にびっくり、しました。「文藝春秋」と「そらあるき」が平積みで並んでいる光景は色んな意味でミスマッチでしたね。イヤイヤ、畏れ多い、と書くべきでしょうか。

今回の「そらあるき」はページ数も80ページ近くあり、十分な読み応えがあると思います。近日中に「うつのみや」さんが「そらあるき」の文章内で紹介している本を揃えてちょっとしたフェアーをやって下さる予定なので、また日程が決まったらお知らせします。

今回の「そらあるき」はコロナ禍を生きる中で皆さんが考えたこと思っていることを中心にして構成されています。コロナの流行は僕たちの心に大きな揺さぶりをかけていますし、自分も含め、人間の表面にあったメッキが剥がれてきて、色んな人の地金が見えてきている。そんな印象があります。長年知っていた人が今迄聞いたことがないような意外な発言をしたり、ちょっとした驚きの振る舞いを目にしたり、あれあれこの人こんな人だったかな、というイヤな発見ですね。コロナがメッキを剥がしていく、思考を停滞させる。店や会社が潰れるだけでなく、人の本性を炙り出していく。その人が今迄隠していたものを露見させる。僕の周りでもそんな人はいますし、今迄見ることのなかった「地金」を知り合いの中に見て驚かされたことも二、三度ならずあります。

この危機に際して変化していく余力と余地を残している人や店、会社は良いとしても、その「余り」の無い人、店や会社は落ちていきますね。そうやって自分にとって足が遠のく人や店が出てくる。コロナ。不思議で厄介な存在です。まるで僕たち人間を試す為に誰かが遣わしたかのような存在。多くの死や苦しみをもたらしているこの菌、誤解を覚悟で言いますが、全く悪いことだけではないと思います。(僕も交通事故で長期入院している母には全く会えませんし、収入も減っていますし、仕入れにイギリスにも行けませんが、そう思います。こういう時こそ巨視的、複眼的視点が重要だと思います。単体の現象だけを取り上げて騒ぐ低俗なメディアの餌食にならないことですね。勿論、僕はコロナの影響をもの凄く受けているわけではありません。恵まれているほうかもしれません。収入が減ったからと言って普通に生活していますし。でも、人が何かを書くときは所詮自分の置かれた立場からしか眺められないと思っています。前の戦争の時の文学を読んで、永井荷風の書いたもの、大岡昇平のもの、谷崎のもの。どれも、その作家の中心から眺めたものを書いている、一方は南国の孤島で飢え、一方は食べ物がない時代に美食に走る。また、太平洋の島で全滅覚悟で島を死守すべく地獄の様な戦いに挑んで怯まない中将がいれば、同じ頃東京の空襲で焼ける家々を眺め美しいと狂喜する奴もいる。いいとか悪いとかではなく、それぞれに真でそれぞれが文学と言う体(てい)を備えている。だから今に読み継がれている)