イギリスの水彩画

1900年頃のイギリスの水彩画二枚(左右共、約32 x 約37 cm)。イギリスで友人の家に行って仕入れた物です。親しくしているアンティーク・ディーラーだと家まで行って仕入れることもありますが、そんな仕入れ方はコロナが収まらないと無理ですね。両方とも良い絵だと思いますし好きですね。僕はよく暗い絵を買ってしまうのですが、これは明るい絵。特に右の絵は明るいです。昔からイタリア・ルネッサンスの絵よりも北方ルネッサンスやオランダ17世紀の室内画のほうが好みでした。油絵よりもデッサンや水彩画のほうに惹かれますね。坂本繁二郎の絵、特に晩年のものにもとても惹かれます。逆に昔好きだった熊谷守一は今は左程惹かれないし、彼の書も今は興味ないですね。殆ど見たことはないのですが、ロシアの絵描きにセルジュ・ポリアコフ(発音少し違うかな)という人がいてとても好きで、彼の絵の写真を壁に飾っています。詩人のまどみちおさんがインタビューで、好きな絵描きは誰ですか、と訊かれ、この画家の名前をあげていたのを記憶しています。少し前に富山の近代美術館に電話して、ここはポリアコフの絵を収蔵してるのですが、展示してあるか訊いたら、展示してないと言われてがっかりしましたね。素晴らしい画家なのに。勿体無い。美術館に効率主義が持ち込まれたらダメなんです、殆ど誰も観なくても良い絵は飾らないといけないし、いくら人気があってもそれだけの理由で飾るのは良くない。ロンドンのナショナルギャラリーにセインスブリー・アベニューという建物があって、そこは初期ルネッサンスとかの絵を主に展示してあるのですが、そこに飾られているファン・アイクやデレク・バウツの絵を一体何人の人が一日に観るというのでしょう。いくら観る人が少なくてもそこに行けばファン・アイクやバウツに会えるというのがとても大事なことなんです。恐らくその同じ美術館でピカソやゴッホを観に来る人の何百分の一、いやそれ以下の人しかマイナーな初期ルネッサンスの絵を観には来ないでしょう。でも、矢張りピカソやゴッホだけじゃ美術館ではないんですよ。

最近益々効率主義と多数決が幅を利かせる世の中。多いもん勝ち、早いもん勝ち、ズルイもん勝ち。権威と権力を上手く利用して生きていくのがオトナ。寄らば大樹の陰。

美術館って本来はそういうところから遠くに立っているから美術館な訳で、国立の美術館が国宝並べて客寄せするようではこの僕たちは何処に行けば心安らげるのか。

効率主義の影で見捨てられていく人やものや現象についてもっと僕たちは考えないといけない。そう思います。