小さいローマングラス

とても小さいローマングラス(3,8 x 4,5 cm)、形が綺麗です。小さくても存在感があります。何に使えるという訳でもなく、ただ眺めてるだけで心落ち着きます。光の種類によって色はかなり変化します。古代物は自分が気に入った物しか仕入れません、それだと売れなくても自分が好きなので、腹も立たないし、時々眺めていればそれで満足ですし、売るときも嘘つかなくていいですし。本当に好きな物だけを扱ってこの商売がもし成り立つならば幸せですね。中々そうはいかないけれどそうありたいです。

個人的な話しになりますが、先週、九州にいる母が交通事故に遭い入院しました。横断歩道を渡っているときに車に跳ねられました。長期の入院になりそうです。それで先週一週間お休みしていたのです。申し訳ありません。交通事故被害者の親族、という立場は初めての経験で、テレビなんかで事故や事件で被害に遭った人の親などが、何でうちの子がこんな目に遭わなければいけないんですか、などと訴えているのを見ますが、それに近い気持ちですね。突然の変化で空いた穴を受け入れることが出来ず戸惑っている自分。事故現場には僕があげた「フェルメール」のトートバッグ、神棚に飾る榊とバナナ、ほうれん草が散乱していたらしく、僕は救急病院でそれが入ったビニール袋を受け取り、その袋をホテルの隅に置いて過ごしました。バナナとほうれん草が少しずつ萎び腐っていくのを動かす気にもなれず、ただそのままにして数日過ごしました。神様には、酷いじゃないですか、母は貴方に上げる榊を買いに行ったのに、その帰りに車に跳ねられるなんて、と言いたい気分でした。本当に。コロナのせいで未だ母にも会えませんし、泣いてもなければ涙も出ません。ただ急に突然に空いた穴が悲しくて、母の入院に必要な物を揃えるのに車で市内を運転していたのですが、何とも言えない悲しさで、しかも、何で自分は今こんなことをしているのか理解は出来ていても分からないんです。

その日から十日ほど過ぎてから少しずつ、この突き付けられた現実を受け入れることが出来始めたようです。今は元気です、時々虚しくなることを除けば。

本当に書きたいことはこの次に書くことなんですが、導入部だけで長くなったので次回にします。ご心配なく。僕は普通に過ごしています。