1850年のサンプラー

イギリス、1850年に作られたサンプラー(額の大きさ、約50センチ四方)。刺繍絵ですね、良家の女の子が作った物。これは数年前にイングランド北東部のスコットランドとのボーダー近くの小さな町で見つけた物、割と大きいのでロンドンまで持って帰るのを躊躇していたのですが、一緒にいた友人に、気に入ったのなら買って帰りなさいよ、と半ば怒られて仕入れた物。教会を改装したアンティーク・センターで見つけたのですが、のんびりしたところで年配の女性が恐らく孫であろう赤ちゃんをあやしながら店番をしていたのが印象に残っています。その後に立ち寄った主にヴィンテージ物を売るアンティークの店では顔や首やらにタトゥーを入れた人の良さそうな60代くらいの男性がどうも経営者のようでしたが、確かあの男性は他のアンティーク・マーケットでも見かけた、奥さんに逃げられヤケになって全身にタトゥーを入れたという噂の男にそういえば似ていたな、と店を出てロンドンに戻る電車に乗り込んでから思った次第で。そんなことは二、三年経っても何故か忘れないんです。アンティークの物を仕入れたときの情景が印象的だといつまでも記憶に残りますね。

最近レコードを時々聴いています。ここ(新しい店)に引っ越すときに数百枚のレコードが出てきて、主にクラシックとジャズなんですが、聴かないのは勿体ないかなと、プレーヤーを新しく買いました。ターンテーブルにレコードを置いて、専用ブラシで拭いてから針をレコードの上にゆっくりと落とし、ボリュームを少しずつ上げていく。昔、CDというものが世に出て来たとき、レコードを捨ててCDの手軽さとその音に飛び付いたのに、今更ながら三十年後の今その音を再発見したように感じ、嬉しそうに面倒くさいターンテーブルを回してる訳です。デジタル音に慣れた脳にはこのアナログの音が心地良く、昔は「巨大」に思えたこのレコード盤のジャケットを絵でも飾るように棚の上に丁寧に飾ったりもして、、。

CDとレコード、デジタル音とアナログ音。どちらが良いかはさて置き、レコードの音は長い間聴いてても疲れず、その音の襞の中に自分の意識を預けられるように感じます。簡単に言えばレコードを聴いてると癒される、負のテンションを溶かし流してくれる気がします。まあ、それだけ日々の生活で便利なデジタル物に支配されて僕たちは疲れてるのでしょうか。でも、今更黒電話に手紙の生活には戻れる訳もないですし、こうやって生活の中にちょっとだけアナログ物を取り入れて癒されるのが精一杯のところですね。アンティークもアナログの世界ですから皆さんがアナログ・ビタミン不足に感じると掌の中で古い器やオブジェのような物に触れて和むのもこのレコードに似ているかもしれません。

コロナ禍で生活が制限されてストレスが溜まってる、というのもアナログ物に惹かれる一因かもしれません。僕の店にもアナログ・ビタミン不足の方が来られますしその気持ちは大変良く分かります。

そうなんです。リモート生活だけじゃ人間持たないと思いますね。矢張り、誰か人に会いに行って話しをする。その延長線上に買い物や映画鑑賞や飲み会がある。「場の共有」が今は悪者にされてますが、それがなくてリモートだけじゃ心荒れますよね。心って不可視なものですが矢張りありますし、身体と同じくたまにはケアしてあげないと病みますね。

この今回のコロナ禍の窮屈な生活の中で人はアナログの癒しを求めてるような気がします。それがたとえごく一部の少数派の人だとしても。