19世紀後半のガラスの花入れ

19世紀後半のガラスの花入れ(23,5 x 8,5 cm)、恐らくイギリス製、一見金彩がイギリスの物にしては多いのでフランス製にも見えるが、装飾の模様からイギリス製だと思う。お客さんに花を頂いてたまたま手近にあったガラスの花器に入れたのがこれ。花を入れてみると以外と合っていて、中々に良い。ガラスに装飾が多い分逆に花の色がグリーンだけでシンプルなのもいい。花の形と花入れのカット模様が似ていて、それもあって良く見えるのかも、と花を活けた後で気付く。花器も花を入れて初めて表情が出てくる。装飾の多い花器は個人的に余り好きではないが、こういう花を入れると、割といいじゃない、と思う。それと、ウエストが絞ってある花器は活け易くもある。

一、二年前迄は外に出掛けて人の会話を何気なく耳にするとき若者がお金の話しをしてることが多かったように感じる。チェーン店のコーヒー屋で、温泉の湯船で、古着屋で、若者がお金の話しを、彼奴は何万円稼いでいる、あの財布が何万円した、などと大きな声でしているのをよく耳にしたが、最近はそう言えば耳にしないな、と昨日ふと思った。前から若者がお金の話しをするのが聞こえてくるのが僕は嫌いだった。下品だし、もっと他に話すことがあるだろうに、彼らの心の貧しさ浅ましさを象徴してるようで嫌だったのだ。コロナで世の中は急速に変わって来ているが、その変化はこんなところにも現れてるのかなと思う。

そう言えば、これもコロナ以前の話し。バーカウンターで一人飲んでいたら街で有名な夜の店を経営してる70代くらいの男がバーのマスターに、店の改装にうん億円かけた、と自慢気に割と大きな声で話していたが、これも品がないし男もパッとしない風貌だった。こんなこともあった。ロンドンのカフェで一人寛いでいたら、日本食レストランを経営してるらしい中年小太りの男が僕の目の前の椅子に座り、大きな声で携帯の向こうの相手に大きな数字のお金の話しを、お前はこんな大きなお金は動かせんだろう、と丸で僕に当て付けているかのように長い間していた。そんなことも思い出した。二年ほど前のこと。彼は僕が日本人だと分かって話していたと思う。誇示したかったのだ見ず知らずの日本人の僕に。

こんな「誇示男」も今頃コロナでどうしてるのかな、と思わないでもない。