15世紀又は16世紀のデザートナイフ

15世紀又は16世紀のデザートナイフ、イギリス製(20 cm)。刃の部分はスチール製、持ち手は恐らく陶器製、テームズ川から発掘したもの。デザートナイフと今書いたが、恐らくこのようなナイフは携帯して色んな物を食べるのに使ったのではないか、この時代はフォークの普及率は低く、スプーンとナイフでこと足りたはず。17世紀末から18世紀に掛けてのイギリスのシルバーカトラリーの黄金時代が始まる前の時代。未だこの国がイギリスやフランスに比べて文化的に遅れていた時代のナイフ。味のある渋い物です。使えますがまあ眺めて楽しむ物でしょうかね。この時代はナイフで切り、そのナイフの先でそれを刺して食べたりしたはずですね。刃に入ってるCVの二文字は持ち主のイニシャルだと思います。

先日の新聞に芥川賞の受賞者の記事が載ってました。年に二回も必ず受賞者を出す商売根性にも辟易してますが、昭和の頃は「該当作無し」というのが時々ありました。最近はそんなこともなく律儀に受賞者を出し続けていますが、簡単に賞を与えてしまうことが却って才能を潰すことにもなり得る、というのを選考委員の諸作家の方々も知っているはずで、まあ結構ヒトガワルイ訳ですよ。今回の講評の中で選考委員の作家S氏が、受賞者の言葉の使い方に触れて、文学的偏差値が高い、と述べていたようです(1/21の朝日の朝刊)。文学的偏差値。真に不思議な表現ですね、まあ苦し紛れの褒め言葉なのかもしれませんが、文学の世界で偏差値という指標が成立する、という奇妙な言葉です。正直この記事を読んである種の怒りを感じました。この人たちの不誠実な態度に腹が立つんですね。もう開き直って、今回は本当は該当作はないようですが、それじゃ本が売れないので、取り敢えずこの作品に賞を与えます、とか言ってもっと文学の可能性、可能性の幅についてしっかりと熱く論じ、それを講評の締め括りとするといい、と思うんです。誰も本当のことを言わない言えないムラ社会。それから、もう一つ気になるのが、文学というのはもっと広がりのある世界のはずなのに、それを狭〜い部屋の中に閉じ込めてあーだこーだもっともらしくも聞こえないウソを言っている、ということ。僕は春樹は嫌いで読みませんが、世界で最も読まれている現代日本人作家の彼が芥川賞を取っていないという事実は痛快で面白いと思います。

作家や芸術家は無視されてたほうが育つんですよ!(ガルシア・マルケスがそれと似たことをインタビューの中で確か言ってました)僕はそう思います。