面取りカットのフランスのタンブラー

19世紀初め頃のカットタンブラー(7,8 x 6,8 cm)、フランスの物です。飲み口の所に金彩があったようですね、恐らく使って洗ってるうちに剥がれたのでしょう。ガラスの生地色はイギリスではなくフランスの色で、同時代のイギリスのタンブラーよりも薄手に作られていて底の厚みも薄く、底部にもカットがあります。手に持つと軽い感じがします。全体の雰囲気はこの時代のイギリス物には無い「軽み」が感じられます。

数ヶ月前、ある新聞に載っていた有名な社会学者U氏のエッセーにこんなことが書いてありました。彼女はコロナ禍の中、山の中の自宅に籠り色んな物が実は要らないことに気付いた、オシャレをすることもなくなった、と書いてあったのですが、そこで彼女は、オシャレをすることは(自分にとって)承認欲求である、というような説明で、それを読んだ僕はとても違和感というか、彼女の底の浅さを感じたのです。

オシャレをするのは他人に認められたいからするのではなく、そんな動機で洋服を買い纏う人は最初からファッションに興味なんかなく、唯人に認められる為のツールとして洋服を利用してるだけのこと、です。骨董の世界でも、人に自慢する為に高い物を買う人がいますがまあそれと同類ですね。物に対する愛、拘りが最初から欠如してるのです。

この学者をバカだなと僕が思うもう一つの理由は、彼女は有名人ですから、影響力がそれなりにあるので、彼女が、オシャレは要らない、と言えば、そうか要らないんだ、と思い込む人も結構数いるはず。唯でさえファッション界は大変なのに、その辺りに思いを馳せず薄っぺらな私見を書くあたりも、軽いんですねこの人は。

その少し前に読んだ川久保玲さんのインタビュー記事のほうがずっと気迫に満ちた素晴らしいものでしたね。時計も靴も洋服も、骨董も車も、他人に見せびらかす為に買うような人は所詮それを見に付けたり使ったりしても似合いませんから。物のほうもそんな人のところに行ってしまったら嬉しくない、不幸ですね。

僕はこんな大変な時だからこそ、洋服が欲しくなる、骨董に束の間の慰めを求める、一人好きな時計を眺めてニヤリとする、好きな音楽を大事なオーディオで一人部屋で愉しむ、そんな気持ちが尚湧いてくるものだと思います。