こんな感じです、、の続き。

店内の写真をもう少し。コロナと雪で外に出ようにも出難い状況なので、私の店も暫くはヒマだろうと思っております。それでと言うか、新しい店内のチラ見せです。店全体はお越し頂いたときにご覧下さい。

僕の日々は何時も何かを探しています。さっき置いたはずのハサミ、いつものパイプ、マスキングテープ、日々使うカードリーダー、セロテープなど、さっきまであったのに見つからない。日頃から整理が出来ないし、日常雑事の記憶が斑らなんですね。五年ぶりに会う顔は覚えているのに昨日の顔はもう忘れている。本は何冊も並行読み出来るのに小学校低学年並みの漢字が書けない。エレベーターとエスカレーター、どっちがどっちなのか未だ覚えられない。人の話しも生活に何の役にも立たないものだけはしっかりと何時までも覚えている。ある人のおじいちゃんが若い頃詐欺にあった事とか、知り合いが小さい頃嫌いだった食べ物とか、そんなことだけは消えずに何時までも頭に残るんです。どうも僕の脳みそは余り実務には向いていない、受験勉強にも向いてませんでしたね。図書館に行くといつも眠くなったですし、教科書は大体三行読んだらもう眠い。

田舎の進学校に入りクラスでの成績がとても悪く、ある日スパルタ一直線の担任に呼び出され、シオイくんキミはどうもアタマがワルイんじゃないかな、だから人一倍ドリョクしないとセイセキはアガラないぞ、と言われたのを覚えています。彼は過剰の課題と体罰を生徒に与えることで成績を上げることに熱心な体育会系の田舎教師でした。十六歳の僕は言われたことにそれなりのショックを受け、そうかボクはアタマがワルイんだ、とその彼の言葉はゆっくり深く僕の中へと沈んでいきました。

自分の脳みそを客観的に眺められるようになったのは二十七歳でアイルランドに住んでからですね。その頃初めて、自分はバカじゃないんだ、と徐々に実感しましたし、考えることを知ったのもこの時期からだと思います。

何を書いているのかよく分かりませんが、二十代を過ごした沖縄とアイルランドには今でも感謝しています。この二つの場所で過ごした十年が知らぬ間に僕の中に「反近代的思考」を育んでくれたのは今振り返ると大きかったと思います。