銅製の嗅ぎタバコ入れ

銅製の嗅ぎタバコ入れ(12,8 x 7,4 x 3,1 cm)、イギリス、19世紀前半。エッヂの細工が繊細なので少なくとも19世紀前半はあると思います。シンプルで美しいケースです。適度な厚みと重みがあり、手に持つと心地良いです。

前にもここで書いたことがある、Paris Review Interview、と言う本をぱらぱらと捲り、アメリカの作家、ウィリアム・フォークナーのインタヴューを摘み読んでいた。彼の作家(artist)に対する考えは面白くて、彼は、もし自分が存在していなくても自分の書いた物は他の誰かがきっと書いたであろう、作家が書いた物に価値があるのであって、作家自体には何の価値もない、もし昔の作家のホメロスやシェークスピアたちが今でもずっと生き続けていたならば、今の作家は誰も要らないだろう、とそんなことを話している。フォークナー自身も自分という個性には何の意味もないと言いたいらしい。要するにこの人は近現代の作家(artist)が陥りがちな自己表現、自己顕示欲などの「自己の病い」から全く自由で冷めているのだ。誰が書いた誰が作った、と言うことは全く意味のないどうでもいいことだと言い切っている。彼はノーベル賞の授賞式も断るつもりだったが娘がパリに行きたいというので、それで行くことにしたらしい、と他の雑誌に書いてあった。こんな人こそ本物の作家だと思う。

僕が持ってる分厚い洋書の写真集に世界中の文学者の写真を載せた物があり、そこにフォークナーも載っているのだが、なんとも精悍な顔立ちをしている。春樹も載っているが、それに比べて顔というか口元に締りがない。彼は商人(あきんど)の顔ですね、きっと計算が好きなんですよ。

では皆さんお元気で!

私は新しい店の改装等で忙しくしています。ニュー・フェルメールは12月10日オープンを目指しています。今の店から徒歩一分です。