ホームページの見出し(Text Contents)を増やし、今迄に書いた記事を移動したり、記事自体を書き直したりしている。今日も6/22付けの記事「時差ボケの対処法」を掲載したところだ(‘Essays’に分類されている)。書いていたのだが掲載していなかったのだ。ホームページの見出しを増やしたので再度読まれる際は探し易くなると思う。何だかアンティーク屋のサイトじゃないみたいになってきたがそれもいいだろう。意外性のあるサイトも楽しい。商品説明とクリックボタンしかないようなくだらないサイトは嫌いなのでその逆を行くつもりだ。というわけで、ホームページのヴァージョンアップ中だ。
ヒマそうな商店街を歩いていると洋服屋や骨董屋、雑貨屋などがお客さんが入り易いようにと少しドアを開けたままにしてるのを見掛ける。あれを見ると、この店売れてないんだな、でも僕はそんなふうにお客を誘う店には絶対入りませんよ、と思う。僕は思う、売れてないときこそ、痩せ我慢してドアは絶対に閉めておくべきだ、と。人間痩せ我慢は大切。
スマホ中心の世の中になり街の有り様までもがスマホ化しているように思う。何もかもが「お手軽」、easy、なのだ。店に入るのも、出るのも、支払いも、買う行為も、会話も、マナーも。全てがユルイ、でも何処かズルイ。イヤな感じの店が多い。
時代に抗う、時流に逆らう、流行の逆を行く。若い頃からスマホ漬けの生活をしていたらそんな精神は養われるのだろうか、と今の若い子らがスマホ弄りながら街を歩くのを見ると何時も不安に思う。五才位の子供が夢中で触ってるのを見るとゾッとする。あれは脳に有害な行為だ。世の中のお母さん、小さな子供にスマホ触らせてはいけません。有害です。
僕は、スマホはアイマスクだと思う。世の中に実際に起こってることを見せないようにする為に与えられた「目隠し」だと思う。視野狭窄な人間を量産する為の、優しいフリして実は怖いツール。勿論、ツールである以上使い方次第だとも思うが、矢張り多用しないに越したことはない。スマホ持った人を余り見掛けなかったベルリンの地下鉄が懐かしい。
人間性、とは何か、人間らしさとは。
スマホ化する社会は、人を生かさず殺さず、の考えに基づき動いてるのだと思う。詰まり、程のいい、人間、大衆の緩やかな奴隷化ということ。
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